読売新聞大阪本社




2002/10/21 [ひと十字路]「パリ・ダカ」に挑戦した聴覚障害者 田村聡さん=多摩

◆野山駆け風切る爽快感 「夢に挑戦する気持ち忘れないで」

 全長約九千五百キロを駆け抜ける世界最高峰のラリー「パリ―ダカール・ラリー」に昨年十二月、オートバイで初挑戦した。予想以上に軟らかい砂、車のわだちにハンドルを取られながら走り続けたが、残り約二千キロでマシンが故障、惜しくもリタイアとなった。

 出場の資金集めに苦労したり、フランス人メカニック(自動車整備工)に細かい状況説明ができなかったりと、レース外での苦労も多かったが、「サハラ砂漠はスケールが大きく、景色も素晴らしい。リタイアは残念だが、参加して良かった」と笑顔だ。

 耳は生まれた時から不自由で、補聴器を着けてもあいまいにしか聞こえない。「子どものころは泣き虫で内気だった」が、トレーニングのためと、父親が頻繁に登山などへ連れ出した。高校生の時、林道を走るオートバイを見て、「自分も自然の中を走りたい」とオフロードバイクに魅せられ、やがて「パリ・ダカ」出場の夢を抱いた。

 耳が不自由だとバランスは取りにくい。ヘルメットをかぶるから補聴器は外す。音は全く聞こえないが、エンジンの振動を感じて走る。国内レースで経験を重ね、一九九九年にはモンゴルのラリーにも出場、約四千キロを完走した。

 野山を駆け、風を切る爽(そう)快感。挑戦の枠はバイクにとどまらない。「スピード感がいい」と話すスキーでは、来年三月にスウェーデンで開かれる“ろう者の冬季オリンピック”「冬季デフリンピック」に、アルペン日本代表として出場する。日本人男性では初となるメダル獲得が目標だ。

 登山では日本百名山の登頂も達成。今年の夏休みには、アルプス最高峰のモンブラン(標高4807メートル)も登頂した。「頂上は別世界だった」。その風景は、今も鮮明にまぶたに焼き付いている。

 「困難でも、克服した後の感動が大きい」ことが、いろいろ挑戦を続ける理由だ。周囲から、やめた方がいいと忠告も受けるというが、「いきなりは無理でも、少しずつ自分の限界を超えていけば、必ず道は開けると思う。目標を持つことが大切」と信じている。

 資金面などから、次のパリ・ダカ挑戦は二〇〇四年までお預けだ。「やっぱり夢はパリ・ダカ完走。エベレストに登る夢もかなえたい」。夢の実現に、あくまでどん欲な姿勢を見せた。(名倉透浩)

〈メ モ〉
◇たむら・さとし 立川市生まれ。都立立川ろう学校、専門学校を卒業後、現在はNECの関連会社に勤める。99年の「ラリーレイドモンゴル」では、聴覚障害者として初完走。同年、世界ろう者冬季競技大会に日本代表選手として出場した。37歳。

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