アラス−マドリード−ダカール・ラリー レポート
 モト(二輪)部門 
 ラリー期間:2001年12月28日〜2002年1月13日
 
   
 世界一過酷なラリーといわれる「アラス−マドリード−ダカール・ラリー」(通称:
パリダカ)に日本人のろう者として初めてチャレンジ。フランスからスペインを抜け、
アフリカのダカールの海を目指して、2週間を駆ける冒険になる。
 高校生の時テレビでパリダカを見て以来、出場するという夢が20年目にして現実の
ものとなった。また、パリダカに行こうと決心を固めたのは、「ラリーレイドモンゴ
ル1999」を完走した後のことだ。2001年に出場するつもりが資金が集まらず、一年延
期して今回実現となった。
 不運だったのは、2001年のゴールデンウィークに開催した「四国ラリー」に参戦し
た2日目のこと。SS(タイムトライアル)で夜の林道を走行している時に崖に転落、
両手首を骨折してしまう。7月に大学病院で手術を受けたが、パリダカの夢は諦めら
れなかった。とにかく7月31日までにエントリー(参加登録)すれば、アマチュア割
引になるのでとにかく申し込む。スタートまでに完治することを願うのみだ。

 8月から準備を始める。オフロードバイク雑誌「ガルル」で知った、フランスディー
ラー「チャレンジ75」とEメールのやりとりをして、パリダカ仕様のホンダXR400Rの
レンタルとメカニックサポートをお願いする。
 過酷なラリーを予想して、手首が使えるまでは登山、ウェイトトレーニング、ラン
ニング、イメージトレーニング等をして鍛える。バイクに乗れるようになったのは10
月。長時間のライディングで手、腕の筋肉を馴らしておく。11月、12月になると、マ
スコミの取材が増え、準備もまた忙しくなっていった。ラリーは「ラリーレイドモン
ゴル」から2年ぶり。早くサハラ砂漠を見たいと気持ちばかり先をいくが、手首はま
だネジが入ったままだし、練習不足や異国でのコミュニケーション等、不安ばかりだ。
聴覚障害のハンディを越えて完走を目指す。
 

2001/12/20
 本日、フランスへ発つ。準備とマスコミの取材で忙しく、体調は良くない。少し風
邪を引いている。
 1週間前に、FIMライセンス(国際競技会に参加することのできるライセンス)
を取得していないことに気づき、会社から半日休みをもらって(財)日本モーターサ
イクルスポーツ協会(MFJ)に行く。心配したがこれまでの実績もあり、すぐ発行し
てもらえたのでホッとする。もし、これがないとパリダカの車検で不合格になるし、
これまで投じた資金もムダになるところだった。チャレンジ75からメールがあった。
レンタルバイク代とサポート代は3回にわけて銀行振込をすることになっていたが、3
回目は受け取っていないとのこと。現地まで現金を持っていく事になったが、スリに
会わないように用心しなければ。
 沢山の方から応援を頂く。プレッシャー、不安ばかりだが、マイペースで走ること、
順位より完走目標と言い聞かせる。とにかく完走したい。
 エールフランスAF275に搭乗、12時45分成田空港から約12時間のフライト。日本を
離れてフランスのパリへ。これから約1カ月、言葉に苦労するだろう。自分の力でや
らなければならない。英和辞典や電子手帳等用意して、コミュニケーションを図ろう
と思う。

 現地時間・午後5時20分パリ到着。日本語の出来るフランス人のスチュワーデスが
電話してくれたので、「チャレンジ75」のスタッフ、パトリックが車で迎えに来てく
れた。「チャレンジ75」へ向かい、レンタルバイク(ホンダXR400R)を見る。私が日
本から持って来たハンドル、スコットステアリングダンパー、強化ジェネレーター、
グリップはバイクに付けられなかった。思い通りに出来ず残念だ。どうしてもスコッ
トステアリングダンパーを付けたかったが。このままでサラサラの砂漠を走れるか心
配だからだ。やむを得ず腕力に頼るしかない。絶対完走するんだ! そのことで頭が
一杯になる。

12/21
 パリは日本より寒く、夜明けは日本より遅い。午前8時30分過ぎ。時差ボケで眠い。
 昨夜、チャレンジ75の向かい側にあるホテルに投宿した。朝食はパンとコーヒー、
少ない。やはり日本食がいい。部屋からインターネットに接続出来ないので不便だ。
 チャレンジ75でインターネットにつなぐ。午前10時から午後7時頃まで利用できる
が、なかなかつながらない。ここで、パリダカに参戦する堀田君と初めて会い、二人
でパリダカの申込みなどもれがないか確認する為に地下鉄に乗る。パリダカを主催し
ているTSOはエッフェル塔の近く、セーヌ川のほとりにある。問題がないそうでホッ
とする。パリは都会なので、東京と同じ感覚。ゆっくり観光したいが、準備をしない
と…。

12/22
 いよいよレンタルバイクの慣らし運転だ。その前にタイヤの中にあるムース代を払
い、契約書にサインした。ムースとはチューブの代わりに入れるスポンジのこと。こ
れはパンクしないからいい。この間の3回目振込の件は問題ないらしい。私の勘では
どうやら堀田君のようだ。
 バイクはどんなフィーリングなのか楽しみだ。車にバイクを積んで、堀田君と一緒
に3人でチャレンジ75から南方へ約1時間位のオフロードパークへ。
 エンジンを始動する。日本にある私のバイクと同じ車種だが、較べるとこのバイク
はややおとなしい振動だった。スムーズに走りだす。オフロードパークは一部水たま
りがあり、凍っているため注意が必要だ。始めは抑えて走り、少しずつ慣れてくると、
スピードを出せるようになった。なかなかいいバイクだと思う。オフロードパークは
広くてのびのびしているので、日本と較べると羨ましい。10年前、山岳スキーでフラ
ンスに行ったが、シャモニという町はヨーロッパアルプスの眺めが素晴らしい。フラ
ンスは自然環境に恵まれている。いいなあ。

12/23
 バイクの慣らしは1日だけで終わり、がっかりする。パリで日本語の先生をしてい
る犬飼さんに、エッフェル塔の近くで初めて会う。犬飼さんは朝日新聞の「ひと」欄
を見て、新聞社に問い合わせ、私の自宅にFAXを送ってくれた方だ。犬飼さんはパ
リダカに必要な物の買い物に付き合ってくれた。パリ周辺を案内してもらいながらも
かなり寒い。犬飼さんの自宅に行き、夜食をご馳走になる。もし、この出会いがなかっ
たら、もっと大変な思いをしてただろう。犬飼さんの通訳のおかげでチャレンジ75の
メカニックに考えを伝えることが出来たのだ。

12/24
 私はマシントラブルが起きたとき、修理に使用する工具を日本から持ってこなかっ
た。チャレンジ75から借りようと思ったが、それも出来ない。後悔する。「チャレン
ジ75」のスタッフと一緒に買い物に行き、最低必要な物を購入した。少し足りないよ
うにも思えた。やはり、慣れている工具が良い。
 正午過ぎ、犬飼さんがホテルまで来てくれて、スタッフに通訳してもらった。3回
目の振込の問題について確認すると、やはり堀田君のことだった。
 篠塚さんのパリダカの本を読む。過酷なラリーだなぁと思う。不安だ。不規則な食
事が続くために体調はあまり良くない。日本食を食べたいと思った。

12/25
 チャレンジ75の中でインターネットしたいが、正午過ぎてもオープンしない! 
 疑問に思ったが、今日はクリスマス。フランスは、家族でクリスマスを迎えるのが
当たり前で、街にはだーれもいない。日本と違うのでビックリした。
 明日は車検日。今日は最終確認と荷物の整理をする。午後からチャレンジ75から歩
いて20分ぐらいのところに犬飼さんの義母の家がある。そこでクリスマスしようと誘
われ珍しいご馳走を頂いた。その後日本食が食べたくなり、ホテルの部屋で登山用ガ
スコンロを利用し、日本から持って来たラーメンとご飯を作って食べる。美味い。
 

 

 

 

 

 

 

 


チャレンジ75